自分を生きる 

こんにちは、
ハグヒーラーの山本瑠璃です。

12月7日は私にとって大切な記念日なのです。

誕生日ではありませんが、
”誕生日だと思っている日” でもあるのです。

6年前の12月7日、
入院そして手術を初体験した日でした。

その日は『まな板の上の鯉』になって、
全身麻酔で 肺の開胸手術が行われました。

今日もこうして息ができているのも
立って歩けるのも
笑っていられるのも
好きと言えるのも
ありがとうと言えるのも

6年前の今日、
多くの方々のおかげで命を繋いでいただき、
生かせていただいたおかげなのです。

手術の日から更に遡ること1年半、
職場の健康診断で肺に影が見つかって、
精密検査の結果、
肺に悪性の腫瘍がある可能性が非常に高いことがわかりました。

それでも手術以外に道はないものだろうかと、
主治医に願い出ました。

「1年だけ様子をみさせてください、
少しでも大きくなるようならすぐに手術をします。」
と。そして経過観察に入りました。

主治医からはすぐにでもと勧められましたが、
3ヶ月に一度の検診で様子を見ることにし、
経過観察するも大きさは変わらず。

約束の1年が来て

主治医から言われたことは
「あなたの場合、
幸いにも手術ができる場所に腫瘍があります。
取り除くことができない場所にできてしまっていたら、
外科手術もできない方もいらっしゃるのです。
切除しましょう。
手術で開胸し、腫瘍をすぐに病理検査に出します。
開胸したまま結果を待ち、検査結果が出次第どの程度切除するかの方針を医師団で決めます。
最善を尽くします。」

48歳の時でした。

腫瘍があることがわかって様子を見るという選択の
1年という期間は、
サプリメントや他のものを試したい期間でもありましたが、
私自身の心の準備期間でもありました。
覚悟を決め、
「もしも、目が覚めないことが起きたとしても
それは私に与えてくださった寿命が来た、
ということなんだろうな。
”まな板の上の鯉”になって、
主治医を信頼して、
そして天命に任せて、、、手術を受けよう」

そう決断しました。

入院日と手術日が決まり、
フルタイムで携わっていた小学校の事務仕事は一人配置だったので、
校内のことは教頭にお願いし、
事務のことは他校の共同協力校の小中学校の事務の方にお願いし、
休む段取りを整えていきました。
覚悟を決めたと言いつつも、
それでも時々心は揺らぎ、
油断すると不安が覆いかぶさってくるのでした。

あと一週間で手術という頃、
夫が通常の様子で過ごしているのを見て

「あなたは私のこと心配じゃないの!?」と強い口調で当たってしまいました。

その時夫は私をぎゅっと抱きしめて、

「心配してないわけないだろ。
でもな、二人で心配しても何も変わらない。
気持ちが暗くなるだけ。
病院の先生を信頼して、任せる。
それしかないだろ。」

それからは、手術迄の日々が平穏な気持ちで過ごせたのでした。
手術当日も、職場の人からの励ましメールに、
「頑張るのは先生です(^^)、私は眠ってる間に終わっちゃいますから、
行って来ま〜す」と返信したのを覚えています。
手術室では麻酔をかけられる前に、
医師団の先生の顔、そして婦長さんの顔、
「よろしくお願いします、」と挨拶。

いよいよ麻酔がかけられるとき、

私より何歳も年下の婦長さんが、
私の手を握って、

「大丈夫ですよ、ちゃんとうまくいきますよ。
眠っている間に終わりますからね。
麻酔が効くまで手を握っていましょうね。」
と、私の意識がなくなるまで
ずっと手を握っていてくれました。

その手の温もりと共に
心が温かくなり 不安が和らぎ
安心した気持ちが 心を覆い
手を握ったまま
麻酔が効くカウントを数える声が遠のいていきました。
目が覚めて痛みとともにうっすらと戻った意識の中で、
「無事終わりましたよ」
「よく頑張ったね」
という先生の声、その時は頷くことしかできませんでした。
手術の結果は転移しないタイプの、肺にできたリンパ腫。
右肺の中葉全部と上葉の3分の1を切除したとのことでした。

傷は胸の下の輪郭に沿って十数センチ、
今ではほとんどわからないほどになりました。
水を出すためのドレンを抜いたり縫ったりした時の方が痛く感じました。

手術翌日には出された食事を残していたら
「胃はつついてないからね、食べれるよ〜」と先生に言われ、
”なるほど、そうだね。”と思い、

翌日に集中治療室から
「はい、歩いて病室に戻ってね」と言われ、
「え?歩くの?」と聞いた私に
「足は手術してませんよ〜」とまた先生に言われ、

”なるほど!『病は気から』確かに!そうだね!”
と納得したのでした。

術後5日目には見舞いに来てくれた同僚に
椅子を持ち上げ差し出そうとしたのを止められて
「すごい元気そうだね!」と笑われるほどに快復していました。
継続の治療や投薬もなく、
1ヶ月後には日常生活に戻り職場復帰、
3ヶ月後にはプールや運動も以前同様、
経過観察も異常なく、

6年の月日が経った現在も、
こうして健康で笑顔で
夫とも笑ってハグして過ごせている日常があります。
いただいた命、
手術から目覚めた日、
改めて生かされいただいた人生を
何をして、どう生きるか、何ができるか、

その日からずっと想いを馳せていた自分でした。
そして今日は、

「手放さなければならない」と思っていた
「〜せねばならない」を手放して、

「ただあるだけ、
ありのままの自分を受け入れて
抱きしめて、
自分の人生を自分で決めていく
誰かのために生きるのではなく
”愛しい自分”と付き合っていく生き方を
していこう。

そして、誰かの人生に
ほんの少しでも、
何らかの影響が与えられる
そんな生き方をしていきたい。」

そう思った今日でした。
産まれたおかげで、
そして出逢ったおかげで、
全ての人のおかげで今日があり、
愛されることを知り、
自分を愛すること、認めることを知り、
”自分は全ての良い悪いなく自分自身だ”
と、自分を受け入れ愛することができるようになり

自分にも周りの人にも、出会った人に
流れの循環をおこし
影響を与えることができるようになってきた
そう思えた
6年目の再生記念日。
”自分を生きる”ことは
”自分の全てを受け入れる”こと

自分を信頼し、
人を信頼し、

触れ合い、ハグで癒され、
触れ合ってハグして癒して、
これからも
与えられた寿命がいつまで続くかは誰にもわからない、
でもいつかは最期の時を迎える。
その時まで
愛して抱きしめて生きていきたい。
読んでくださったあなたに
感謝の ハグ♡ 贈ります。
ありがとうございます。
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